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Voice    合格体験記
​  合格者の中から代表して書いてもらってます   

 

◆◆2021年度生 合格体験記◆◆

​「作ることは考えること」 宇戸平凌莞(東京造形大学 彫刻・三重 松阪工業高校)

​ 私は小学1年生の頃からヒーロー伊藤スタジオで勉強を始めました。
初めはただ楽しいというだけで美術をやっていましたが、次第にこれを仕事にしたい。と思うようになり美術系の高校や大学に進学を決めました。
遠足や美術館巡り、コンクールや大学のオープンキャンパスにも連れて行って頂きました。

特にオープンキャンパスではヒーロー伊藤スタジオ美術研究所を卒業し、その大学に行った人から直接話を聞く機会を作って頂いたりして、受験校を決める時も自分にあった大学はここだ
と決めることが出来ました。
デッサンがなかなか伸びずに悩んだ時も先生の的確なアドバイスのおかげで乗り越えて来れました。そして受験も上手く行き志望校に無事合格することが出来ました。
後輩諸君へ
先生に教えて貰ったことはしっかりメモをし、何度も見返して同じ失敗を繰り返さないことがすごく大切だと思います。

◆◆2018年度生 合格体験記◆◆

​「作ることは考えること」 秋井 奏(京都市立芸術大学 美術・三重 鈴鹿高校)

​ 私は高校2年生の夏から大学受験のためにヒーロー伊藤スタジオ美術研究所に通い始めました。美術のことをほとんど知らなかった私にも分かりやすく、丁寧に教えていただいたおかげでみるみる実技力が上がりました。

実技力が上がったのはもちろん、同時に考え方も大きく変わり、成長できたように感じます。

「なぜ、そう思うのか」「なぜ、これはこうなのか」

通い始めるまで、考えようとも思わなかったことを考える機会が多くありました。

そのため、日々の生活の中でも「なぜ、そうなのか」を考えるようになりました。

特に嫌いだと思っていた物事に対して考えるように心がけていました。

それは、「自分は嫌いなものを避けているから知識が少なく、アイデアが浮かびにくいんだと思ったからです。興味を持ち、考えることが増えたおかげで、まだまだ充分とは言えませんが知識やアイデアにも広がりが出て、何より心が寛容になり、頭が柔軟になった気がします。

 後輩のみなさんにはいつでも「なぜ、そうなのか」を考え、いろんな可能性を考える癖をつけてほしいです。また、良い作品(合格作品など)を観続けることもアイデアを増やすために大きく役立ちました。

 最後に、コツコツと努力を続ければ報われることを、今回、「合格」というかたちで実感しました。みなさんには今やっていることは必ず成功につながるんだという強い自信をもって努力を続けて欲しいと思います。

◆◆2017年度生 合格体験記◆◆

「向き合うこと」  城山 志都(京都精華大学 マンガ・三重 松阪工業高校  現役)

私は高校受験を控えた中学3年生のときに、受験に実技検査(鉛筆デッサン)のある松阪工業高校繊維デザイン科を志望していたので、その対策として初めてヒーロー伊藤スタジオ美術研究所の実技模試を受けました。デッサンのことを何も知らずに来て、他の子の作品に圧倒されたのを覚えています。そして、模試の講評やその後の指導で、全くできなかった私に優しく丁寧に一から教えていただき無事に合格することが出来ました。
 そこで一旦、研究所に行くことは終わったのですが、高校2年生の終わりに「受験もあるし、卒展もあるし、画力を挙げたいなぁ」と、ただ漠然とそんな軽い理由でもう一度、高校3年生の春から再び研究所に通うことに決めました。通ううちに、「絵を描くこと」に対してのこれまでモヤモヤしていたことが、どんどんわかってくるのが本当にうれしかったです。学校でも絵の技術について教えてくれますが、研究所ではその一つ上の技術を教えてくれたり、技術だけではなく「絵を描くこととは何なのか、何のためなのか」とか「これからどう生きていくか」ということをたくさん考えさせてくれ、学びます。ただ、絵が上手くなりたい、画力が欲しい、と思うのは、本当にはじめのうちだけ。もちろん技術も必要だけど、絵を描くためにはそれだけじゃないそれ以前のものがたくさん必要なんだということが身に染みてわかりました。そして何よりも大切にしなければならないと学んだのが「自分自身」です。この研究所に来ると今まで経験したことがないほど「自分自身」と向き合います。授業をしていくうちに自分は何が好きで、何を嫌いで、何に憧れていて、何が苦手なのかが、たくさんわかってきます。
私はこの研究所に1年しか通ってないのですが、たったそれだけの期間でも、ものすごく濃い一年を過ごせたと思います。これから先のことも考えた指導で学び、個々にきたのは間違いではなかったと言い切れます。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「たくさんの経験」  野田千尋(上田安子服飾専門学校・三重 飯野高校 現役)

私は、中学三年生の冬から高校卒業までの約3年間スタジオに通わせていただきました。
飯野高校への受験のために始めて、デッサンの基礎から応用まで、それから色彩や立体とたくさんのことを教えていただきました。
最初は、真っ直ぐに線を引くことも難しく、まわりとの差を感じ、このままではいけないと思い、ひたすら絵を描いていました。私はファッションデザイナーになりたいという夢を持っており、高校に入ってからはファッションのことを中心に美術やデザインを学んできました。スタジオでは、ただ漫然と何かを作るのではなく、どうして作るのか、美しいものとは何なのか、など生み出す意味みたいなものを考える姿勢も学びました、様々な作品制作や美術館などに連れて行ってもらい他の作品を見るなどのたくさんの経験の機会が与えられ、常にそれを考えて制作することができました。スタジオでの3年間で、当たり前かもしれないけれど何でも経験すること、そして普段から自分がどういう風に過ごすかがとても大切で、そこから作品につなげていけるということを実感しました。
スタジオで学んだことは、高校での制作でも、部活でも、いろんな場面で生かすことができ、良かったです。
後輩のみなさんへ、これから、もっともっとたくさんの経験をして下さい。

◆◆2012年度生 合格体験記◆◆

田中義樹(武蔵野美術大学 彫刻、東京造形大学 彫刻・三重 津東高校現役)

このスタジオで過ごした3年間を言葉で表すと「楽しかった」に尽きると思います。

自分は高1の初めに漫画家になりたくてこのスタジオに入りました。

小学校の時から自分は漫画家になると自分は信じていたので、まさか彫刻で大学に行くとは思いませんでした。

美術を始めてから自分にとっての楽しいことが広がっているように思います。

最初に入った時は、他と比べて圧倒的にヘタクソでしたが、なぜか根拠のない自信はありました。

たぶん精神的にガキンチョだったので冷静に自分を見れていなかったようです。

それでもいつかまわりをあっと言わせたくてスタジオをつづけてきました。そのことに対する情熱はあったと思います。

そして、高3になって受験生になりました。 毎年スタジオで夏期講習が終わると、東京の全国公開コンクールに行くのですが、

自分はそこで46人中でビリをとりました。圧倒的にビリでした 。帰りの新幹線で、人生終わったと思いました。

親からは、最下位の実力では行けるところはないから、テキトーな専門学校か、簡単なAO入試でも受けろと言われて、悩みました。

でも 、もしも方法をとると楽でも、実力がない子どもの自分そのままでいてしまうように感じたのでやめて全部一般で受けることにしました。

そのあとでまた東京のコンクールに行った時、そこでアーティストの講演会がありました。

そのあとの質問の時間にデッサンの上手い子が1人「 自分の哲学に現実が追いついてこない時、どうすればよいか」と聞いていて衝撃でした。

美術について真剣に考えている同学年の子をその時はじめてみた気がしました。

同時に東京のいい大学に行けばそんな子はたくさんいるのだろうと考えると自然とドキドキしていました。

とにかく美術に対して真剣に向き合っている人と出会って話すためにいい大学に行こうと決めました。

そこからさらに頑張れたし、自分と向き合うこともできたと思います。

自分の作品の中にダンボールで出来た「大人になる前に死にたいぜ」という作品と、自分が全身タイツで歌う「宇宙ロックンロール」という映像作品があります

この2つは表面は汚くて不格好ですが、自分に表現することの楽しさと美術の自由な可能性を教えてくれました。

多分それをつくる前と後の自分とでは全く形が変わったと思います。

デッサンだけでなく自由制作が多くて作家としての自分のスキルをつけられるのはこのスタジオの特徴だと思います。

将来に社会に出ていくために必要な本質的なことをここで学びました。

芸術家としてのスタートはもうはじまっっていると感じさせてくれる場所がこのスタジオでした。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

清水知佳(沖縄芸術大学 デザイン、女子美術大学 グラフィックデザイン・三重 津東高校現役)

私がヒーロー伊藤美術研究所に通おうと決めたのは中学校に上がる前でした。美術館で先輩方の作品展を見たのがきっかけです。

私は小さい頃から絵を描くことが好きで、中学に上がる頃には美術大学にいくことを夢見ていました。

しかし、現実はただ絵を描くことが 好きということだけでは全くだめだったのだと思い知らされました。

「考える」ということが一番大切で、私にはそれが欠けていました。何を 描いたらいいのかわからず、なにを描いてもうまくいかないとても辛い日々が続きました。

何度も挫けそうになりました。けれど、その辛い  日々があったからこそ、今までよりも強くなれたと思います。

研究所ではたくさんの経験をしました。奈良や京都へ行ってお寺や美術館を見たり、合宿に行ったり、作品をつくるために研究所で 徹夜したりしました。

こんなにいろいろ経験させてくれたのは、とても感謝しています。

大学を卒業してからどうするのか、世界はどのように 回っていて今何が起こっているのかと、いろんなお話を聞かせていただいたこともありました。

他ではできない体験をさせてもらったと思っています。

大学受験の時、今までがんばったことを全力で出そうと思っていたのに、いざ本番になると、どうしようもなく緊張して、試験が終わっても 緊張はとけずにいました。

だから、合格できた時には本当にホッとしました。しかし、大学に合格したのはゴールではないのです。

研究所を 卒業しても、ここでの経験を忘れずに日々精進していこうと思います。 今まで、いろいろご迷惑をおかげしましたが、いままでありがとうございました。

 

 

◆◆2010年度生 合格体験記◆◆

竹之内佑太(多摩美術大学 工芸、武蔵野美術大学 彫刻・三重 津高校卒)

ヒーロー伊藤スタジオ美術研究所に出会えて、本当によかったと思っています。

中学1年のときから始まった7年間(中学3年のときにお休みしました)のスタジオ生活は自分のなかに一本の軸をもたらしてくれました。

私は2浪して東京芸大に落ちました。

落ちて言うのもなんですが、最終的に合格か不合格かはどうでもよかったと思います。合格でも不合格でも、

それぞれに一長一短があったから。もちろん大学へ行ってから、卒業してからが勝負ですが、やっていく自信はありました。

スタジオで培った経験がそう思わせてくれました。

スタジオは受験対策に傾いた指導ではなく、その後の作家人生、企業人人生の根本に必要な『アートの精神』『観る力』を

鍛える様々な経験をさせて貰えました。

一日は掃除から始まり、美術館研修、講演会を聞きに行ったり、名作映画鑑賞、旅行やキャンプ、年中行事(例えば餅つきや

クリスマス、七夕)、美術館での展示やグループ展企画などもしました。表面的な姿勢や楽しさだけで無く、いつもその根底に

あるもの(意義や意図や構造など)を『観て』学ぶ大切さを教えてもらいました。

絵の上達は『観る事』の副次的なもので、残り香のようなものだと思いました。

大切なのは普段の生活で、自分がどれだけ豊かな『観方』をしているか。

その『観方』が少しでも多く、あるいは美しく絵や作品に現れれば進歩です。

普段の生活でできる限り、『観る時間』を自分に投資した事が、次のステップでの大きな武器になるはずです。

『観た』時間は実感として自分に帰って来るはずです。
どうしようもない自分にどうにでもできる希望をこのスタジオは与えてくれました。
ヒーロー伊藤先生をはじめ、先輩、同輩、後輩、私に関わって下さった皆様に感謝の気持ちを送りたいです。
7年間本当にお世話になりました。

 

◆◆2009年度生 合格体験記◆◆

佐藤 翔(多摩美術大学 彫刻・三重 高田高校卒)

僕はスタジオに入るまで、ずっと補欠の人生でした。小・中・高と部活でも何でもずーっと補欠でした。

こんな僕でも、どこかで一番になりたかった、強くなりたかった。

そこで、多少の自信があった絵で認められたい。と思って、美大合格を目標にスタジオに入った。

しかし、入ったとたんに、自分の甘さが身にしみた。と、いうのも、スタジオにいる人は誰も「美大合格」を目標にし

ていなかった。その先の「絵を描いて○○を する!」とか「美術で○○したい!」と、人生について考えていたから

だ。

人生について、一生懸命考えているではないか?!自分と真っ正面に向かいあって、悩んで、考えて、一生懸命に夢に

向かって、努力しているではないか!? 僕もそうなりたく基礎科からスタジオに4年間お世話になった。

でも、はじめのころは、ずっと格好をつけることしか出来なかった。自分を過大評価して、いっつもかっこ悪かった。

なんか、自分じゃない自分を作っている感じで、全然いい作品が出来なかった。

そんな頃、初めての大作制作で、木彫をすることになった。

その時は、作りたいものが一つに決まっていて、初めての経験ということから、とても真面目に、一生懸命に打ち込ん

だ。今思うと、とても素直に作品が作れたと思う。その時はまっさらな自分でいられた。そんな経験は初めてで、しかも、その作品では津市展で賞をもらえた。

素直になる大切さに気づけた。それに、かっこつけるかっこ悪さにも気づけた。そして、本当に感じたことしか創れないし、その為にいろんな体験をする必要があることも分かった。

スタジオでの七夕や遠足、クリスマスや様々な経験をさせていただけるのも、この為だということが分かった。

いつの間にか、スタジオは、受験対策ではなくて、本当の自分に向き合える場所になっていた。

又、よく、自分の悩みや考えていることを先生やスタジオのみんなに話したり、相談した。

その時先生は、答えを教えてくれるんじゃなく、いつも様々な可能性を示唆してしてくれた。

だから、際限なく様々な事を考えられたし、自分というものを整理出来た。

そんなうちに、いつの間にか、入試になって、いつもどうりに頑張ったら、合格していた。

もう、補欠なんて自分にとってどうでもよくなっていた。

やっと大学という通過点にたどり着けて、夢に少し近づけた嬉しさでいっぱいだ。

あとはもう、一生懸命になるしかない。これからも自分と必死に向き合っていくしかない。まだまだこれからだ。

◆◆2008年度生 合格体験記◆◆

西井友香(多摩美術大学 油画、東北芸術工科大学 油画・三重 飯野高校卒)

私は遅いです。観るのが遅くて考えるのも遅い。だから描き出すのも遅い。

そんでもってその考えというのがハッキリしていないと、描いている途中で手が止ま ってしまいます。

「あぁ今日も未完成だ…。」―「もうちょっと描いてあればね ぇ。」と先生がおっしゃる。

家に帰ったら、『未完成反省会』らしきものを一人 頭の中で開きつつ晩ご飯を食べて、お母さんは「早く食べな!」。

もちろんお風呂 も寝るのも遅いです。そして次の日起きるのも遅い。こんなことが、この四年半 の間にたくさんありました。  

「これ、さっさと治してしまわなければ!自分に自信がないからだ。」と思い ました。

だからスタジオでの制作で、自分の好きなものや、表現したいことにも っとこだわろうとしました。

こだわり過ぎてエスキースだけで終わってしまう日 、遅さにイライラしてがむしゃらに描いたら完成度が上がった日、

パッとひらめ いて最後まで勢いが止まらない日…。

なんだか毎日ガタガタな感じだったけど、 だんだん良い作品がつくれるようになってきているのを実感することができまし た。

失敗も成功も、ちょっとずつ自信に変わっていたんだと思います。スタジオ のみんなの制作する姿を見て、元気をもらうこともありました。  

先生は私達をいろんな所に連れていってくださいました。いつも、美術だけで はなく社会に出ていく為のことを教えて頂きました。

「世の中には自分の知らな いすごいものが、こんなに溢れているんだ。」―『知らないこと多すぎ反省会』 をしつつ、

早くそういう社会へ出ていきたいと思うようになりました。

結局遅いのが治ったかどうかは怪しい…。

けれどこの四年半はとても大切な時 間になったし、スタジオに入る前の自分とは結構変わったと思います。

これから が本当のスタートだ!ということで、もっともっと頑張っていきます。ありがと うございました。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

大野有美子(多摩美術大学 油画・三重 津高校卒)

私がスタジオで学んだ事は、絵を描くためだけの事ではなく、もっと大切な事 、生きる事そのものだったと思います。

世の中には実際には生きていても、生き てる人と死んでるのと同じ人がいます。

そして、生きる事は美術に直結すること なので、ちゃんと生きてないと実際には美術なんてできないのです。

5年前まだスタジオに入ったばかりの頃、私は凄く悩んだ事がありました。

そ の理由は、絵を描く事を通して自分の中身の希薄さと、考える事の大切さがわか ったからでした。

作品制作の根底にあるのは実は技術なんかではなく作者自身で す。

そして、自分が感動もしてないのに人を感動させる事なんてまず無理です。

だからヒーロー先生は、制作だけではなく、掃除や、季節の行事、論考の授業な どのさまざまな事を通して心を育てようとしてくれてたのだと思います。

自分が あるからこそ感動する事もできるし、作品として出せるのです。  

実際の試験の直前は、実は絶不調でどうしようも無い感じでした。

だから、どんな絵を描いてこようなんて用意とかは全くなく、ただ素直に課題に対して反応 しようと思っただけでした。

そして、その時に反応する事が可能だったのも、ち ゃんと心の部分が育ってたからです。

これからも先生に教えてもらった事は私に とって大切な軸になっていくと思います。

そして、その軸を元にこれからもどん どん前進できるよう頑張っていきます!本当に今までありがとうございました! !

 

◆◆2007年度生 合格体験記◆◆

市川さゆり(東京造形大学 油画・三重 高田高校卒)

私がヒーロー伊藤スタジオ美術研究所に通いはじめて、早6年ほどたちました。青春時代のほとんどをスタジオで過ごしました。

キャンプに行ったり、熊野古道を歩いたり、美術館に行ったり、動物園でヤブイヌをみたり、いろいろしました。

スタジオで学んだことは、すごく多かったと思います。

一番大きかったのは、「自分」というものに向き合えたことです。

自分の心の声や、気持、考え方、嗜好など、とことん「自分」のことを知ることができた6年間だったと思います。

先生にも、自分と向き合う術を教えてもらい、また、それがどれだけ大切なことかをも教えてもらいました。

自分を知ると、他人も分かってきます。そうすると、今までの「なぜ?」が、「ああ、そうか」に変わっていくのが面白かったです。

長く続けるためのコツは、とりあえずスタジオに行くことです。下手な時期でも、気分が乗らなくても、とりあえず行くことです。

そして、下手な絵をかいて、とことん落ち込むことです。人間、落ち込むところまでいけば、上にあがるしかないと、思えるものです。

悩まずに上手くなろうとするのはダメです。悩んで、悩んで、泣きまくって、どうしようもない!と思えた時は、次のステップにあがれるいい機会です。

悩むといっても、トンチンカンに悩まずに、先生や、先輩、仲間の話をよく聞き、自分の身に照らしあわす事が出来れば良い悩みだと思います。

悩んだ後は、よく感動して、世界の美しさや、人の不思議さを堪能して下さい。

その後は、感動した事を素直に作品に出して下さい。

いい作品というのは、感動をいかに素直に外に出せるかだと思います。答えは自分の中にあります。

 

◆◆2006年度生 合格体験記◆◆

増井 彩(東京藝術大学 先端芸術表現・滋賀 水口東高校卒)

受かったときは、自分のやりたいことに一歩前進したと思った。

振り返ってみると、格好つけていた自分から元の自分になってきたという実感があった。

こんなことしてもいいんかなあ。とか、美術をしている人はこうでなくてはいけないとか妄想していた。

しかし、実際に美術を学んでいると、その妄想で制作したものはすべて失敗に終わっていった。

先生に良いと言われているものは、いつも、こんなに好きなことしてて良いんやろか。とか、ダサいかも…。と思うようなものだった。

しかし、そのものを作っている途中は、楽しくて夢中になれたし、素直な思いが表現できているときだった。

そういうことを、増やしていくにつれてドンドン成長していった。

自分の好きなことをしていて、それをさらに深めるために大学に行けることをすごく幸せに思った。

この研究所では本当にいろんなことを学んだ。

ただ絵や作品が良いだけではダメだということを知り、朝は掃除から始まる。

環境を可能な限り良くし、皆と楽しく会話したりすることが何よりも大切だと感じた。

皆と楽しくできたときに制作したものは、良いものができたりするのでビックリした。

大学に受かることができたのも、皆の支えがあったからだと思うので、支えてもらった人に感謝し、これからのわたしは、その人たちに応えられる人になっていきたいです。

 

 

◆◆2005年度生 合格体験記◆◆

佐藤 悠 (東京藝術大学 先端芸術表現・津高校卒)

吾輩は藝大生である。実感はまだない。一年間、絵馬にも、短冊にも、砂浜にも、ずっと「藝大合格」と書き続け、あれほど恋い焦がれていたのに、このからっぽな気持ちはなんなのだろうか。      この一年、とにかく自分の「これがしたい!」という気持ちに素直になりたかった。それが外にでれば表現の方法は何でもよかった。 
牛小屋の中に入って乳牛と共に時をすごし、砂浜に潮が満ちるまで穴を堀り続け、大学のキャンパスに侵入してゴミの山を築いた。稚拙でも不恰好でも、自分を突き動かす衝動に嘘をつきたくなかった。自分に自信を持って藝大の前に立ちたかった。 
自分の気持ちを信じ、無我夢中になって突っ走った。そうやって動いているときは、何かに酔っているような感じがして、空腹も疲れも感じなかった。ただそのときを一生懸命に楽しんでいた。 
しかし、そのかわりに、一旦作品が完成してしまうとそれまでの熱は一気に醒め、制作中は輝いていたものも、終わってしまうと色あせてつまらなく見えた。でも、それでよかった。そうなると、次の作品への意欲がムラムラと湧き上がり、新たな段階へ進みたくなるのだった。作品が完成した後のあの虚しさは、今のからっぽな気持ちとよく似ている。やりたいことをやりきった作品ほどその感覚は強かった。だからきっと自分は、この一年を力の限り駆け抜けたのだろう。そしてまた、新たな一歩を踏み出さずにはいられなくなるのだろう。 
そうやって駆け抜けて、やっと藝大まできたけれど、これでおしまいではなく、まだまだこれから、今スタートが始まったばかりなのだと思う。そう思えるのは、ヒーロー先生が、自分たちに美大の受験対策ではなく、アートそのものについて教えてくれたからだと思う。先生は、ものをつくる技法や描き方というような事をほとんど教えてはくれなかった。それよりも、アートをしてゆく心というか、魂のようなものを伝えてくれた。そのことで、広い広いアートの世界が自分たちの前に姿を現し、大学受験にとどまらない広い視野を得ることができた。早くからそのような心が持てることは本当に幸せなことであり、また、それが、今後アートをしてゆく上での核になってゆくものだとも思う。 
ヒーロー先生にアートの世界への扉を開けてもらい、先生を初めとする多くの人に背中を押してもらって、自分はやっとその世界の入り口に立つことができた。まだまだこれから。これからである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

樋口あゆみ (武蔵野美術大学 視覚伝達デザイン・津高校卒)

私はずっと自分の作品に自信がありませんでした。周りの人が上手くなっていくのに自分は何の進歩もなくて、他人に自分の作品を見られる事も恐くなりました。そうなるといよいよ駄目で、心の濁りは作品にも顕著に表れるのでした。浪人が決まって昼間部に入ってから、いろんな事が少しずつ見えてくるようになりました。学校に行かない分絵にだけ集中する事ができました。だからといって浪人することを勧めようとは思いませんが、昼休みに仲間とお弁当を食べながら喋ったり、本を読んだり、落書きしたりして遊んだり、晴れた空を見上げて何故かぞっとしたり、そういったどーでもいいような事を深く考えてみる時間を持つ事が私にとって大切だったのだと思います。それが私の世界の入り口を少し広げてくれたきっかけになった気がします。

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岡 万理恵 (東北芸術工科大学 油画・津東高校卒)

『あまり受験のことを考えずにいろんなことしたいなぁと思い、私はこのスタジオにやってきました。おかげで、濃い2年間を過ごさせて頂きました。受験とか関係なく、牛を描きに行ったり、都筑のモザイクコンテストに参加したり、似顔絵を描いたり、いろんなことをして楽しかったです。ただ閉じこもって絵を描いてるだけじゃ見えなかったものが見えてくる気がしました。
私はなかなか素直になれず絵を描くことができないときがありました。そんなときに先生にアドバイスをもらったり、友達に相談したりして、まわりの人々にずいぶん助けられました。ひとりじゃ絶対にやっていけませんでした。少人数制なのでそのぶん結構赤裸々に語り合えたりできて、濃い人間関係を築けてよかったです。
受験はつらいです。楽しめればよかったんだけど、頭がガチガチな私にはそれができずに苦労しました。泣いたりわめいたりしながら絵を描きました。描くのがイヤになったこともあります。それでも描き続けたのはやっぱり絵を描くことが好きだからなんでしょう。でも正直自分の絵は好きじゃありませんでした。他の子の描く絵にずっと憧れてました。それでもやっぱり自分が描く絵は自分なわけで、先生には「理想の絵を描く自分に憧れるな」「素直になれ」と言われました。絵を描くという行為は自分を曝け出すことで、苦しいときも楽しいこともあります。大事なのは自分(の絵)と向き合うことだと思います。自分は自分だと思い、しっかり自分の表したいものを見つけてください。私もまだまだ模索中です。
そのほか、後輩たちに伝えたいアドバイスとしては、絵を描くとき、自分の枠を決めずにどんどんいろんなことにチャレンジしたほうがいいです。新しいものがきっと見つかります。人に教えてもらうだけじゃなくて自分で学びとることはとても大切です。
また、絵を描くことだけじゃなくて、いろんな分野に目をやって、視野を広げ、物事を考えてください。内面も豊かにしなければ絶対にいい作品は作れないと思います。時間はたくさんあるようでいて限られています。その限られた時間の中でどう過ごすかは自分次第です。いろんなことを体験して、いろんなことを吸収しましょう。
もし行き詰まったりしたときは、一人で悩まずにまわりの人に相談してください。だいぶと心の負担が少なくなって楽になり、いいアイデアも浮かぶと思います。
また、学科はやっていたほうが断然いいです。私も受験間際で、もっと勉強しておけばよかった!と後悔しました。土壇場であせっても遅いのでこつこつと普段からしておきましょう。学科ができればそれだけ余裕をもって実技にも取り組めると思います。

最後に、先生、スタジオの皆さん、お世話になり、本当にありがとうございました。ヒーロー伊藤スタジオにいてよかったです。』

 

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